ランニングを終えた私はシャワールームへ入る。
シャワーを浴びながら、鏡に映る自分の姿を横目で確認する。
(うーん、だいぶ筋肉ついてきて、絞れてきてるけど。もうちょっと筋トレしないと)
私は陸上部員ではあるが、競技自体を熱心にやっているわけではない。
あくまで自分のプロポーション維持のために頑張っている。
筋トレを毎日少しやっていたら、友達から褒められるようになり、それが今の私のモチベーションにつながっている。
クラスの中にはこの苦労を知らずに私もそうなりたいだのうらやましいだの言ってくる人はいるが、そのために私は日ごろから毎日たゆまぬ努力を続けているのだ。
ふー。
髪にタオルを当てながら、部室へ戻る。
「こんばんわ」
「っ!?誰!?」
「やだなあ、私ですよ、私」
振り返るとそこにいたののはクラスメイトの横嶋美奈々の顔。
「横嶋さん…?うちの部室になにか用なの?」
私と横嶋は犬猿の仲で、クラス内でもことあるごとに対立している。
横嶋は帰宅部である。体型も太り気味。運動は全然得意でもないし、かといって勉強ができるというわけでもない。
クラス内でも嫌われているのだが、そういったことを気にしない性格で、何かあるたびに私へ陰湿な嫌がらせをしてくる。
「私、いままであなたにひどいことしてきたから、謝らなきゃと思って」
横嶋はやや演技がかったしぐさをする。
私はその態度からそんなことするわけないと察し、警戒する。
「私は別にあなたと仲良くするつもりはないから」
「そんなこといわないでよ、私たちきっとよくやっていけるわ」
「…急に一体何なの?信じられるわけないでしょ。いい加減出てって」
「これ、いままでのお詫びだから」
カバンから、片手で持てるぐらいの20cmぐらいのぬいぐるみのようなものを取り出し、私の目の前に差し出す。
ハンドメイドのようで、うちの学校の女子制服を着ている。
手足は筒状の形をしたものがくっついているだけの簡易なつくりで、首のところには何かにぶら下げられるように、紐が輪っかになってついている。
「…いらないわ、なにこれ?」
受け取るようなこともせず、私は横嶋を睨みつける。
「私、裁縫もするの。あなたに似せて作ったのよ。どう?」
どう、といわれても。
そういわれれば髪形が同じセミロングだな、というだけで、あとは制服を着ていることぐらいしか共通点がない。
「もし、いらなかったら捨ててくれていいから。気に入らなかったら仲よくしてくれなくてもいいから」
ずい、っと私の胸にぬいぐるみを押し付けてくる。
私は仕方なく、両手でぬいぐるみを掴む。
「いらないんだけど。渡されても迷惑よ」
「そのぬいぐるみ、眼も凝ってるんだ、見てみて」
眼…?
背を向いたまま受け取ったぬいぐるみをくるりとひっくり返す。
(なによ、ただの黒い石じゃない)
碁石のような形をした2つの黒い眼。
私はその眼から視線を外すことができなくなってしまっている。
(なんだろう、この不思議な…吸い込まれてしまいそうな眼)
すべてを吸収し続けるブラックホールのような黒に、私は意識を集中してしまう。
横嶋が目の前で何かを言っているが、全く聞こえないぐらいに。
視野が狭くなっていく。脳に霞がかかっていく。
ぬいぐるみの眼が大きく視界を奪っていくような気がする。
ぬいぐるみを握る手の力がどんどん抜けていく。
(あれ…?私…、いったい…)
手のひらからぬいぐるみが零れ落ちた瞬間、私の意識が一瞬途切れた。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・
(なんかすごい高さから落ちたような感じがしたけど…)
ゆっくりと起き上がる。
身体がなにやら動かしにくい。
起き上がって目に入ってきた視界に私は混乱する。
…視点が恐ろしく低い。
床からわずか15cmぐらいの高さだろうか。
部室が、椅子が、机が恐ろしく広く大きく感じる。
私は恐る恐る自分の両手を見る。
(えっ…)
指などはない、ただの棒のような腕と一体化してしまった手が見える。
物をつかむ機能など持たない、みじめな手だ。
その手は人間の皮膚では一切なく、ただの布に覆われている。
その布を縫い合わせているのか、1本の糸が腕に沿って走っている。
そして目の前には巨大な女子生徒が一人、横たわっている。
この不可思議な現象の前で、私は普段ならあり得ない予想をする。
そしてその予想はおそらく間違っていないのだと思う。
(私はいま、横嶋から手渡されたぬいぐるみになってる…そして目の前に倒れているのはおそらく…)
「そう、あなたよ」
はるか頭上、後方から横嶋の声が聞こえる。
慌てて振り返り視線を上に向けると、私を見下ろすようにして横嶋が立っていた。
いったい何をしたの!
と叫んだつもりだったのだが、口元は一切動かない。
「そのぬいぐるみの眼をのぞき込むと魂を吸い取られちゃうのよ」
そんな非科学的なことがあっていいのか。
横嶋さんは私の抗議のジェスチャーを無視して、倒れている身体に近寄る。
(ちょっと、私の身体に触らないで!きゃっ!)
慌てて横嶋さんに近寄るが、片手でぺしっと払われてしまい、私は部室の壁に吹き飛ばされれる。
(あんな払われ方でこんなに吹き飛ぶなんて、どんだけ今の身体は軽いのよ)
朦朧としながらも立ち上がる。
私は再び横嶋さんのほうへ近づこうと試みる。
その時、私の顔を触っていた横嶋さんが急に意識を失ったように倒れた。
(えっ…)
一瞬何が起きたのかわからなかった。
倒れた横嶋さんの代わりに、私の身体が向くりと起き上がったのである。
(わ、私が…?)
私の身体はしばらく自分の両手を眺めたり、身体や足回りを撫でまわす。
私の眼がぎろりとこちらを見据えた。
(ま、まさか)
「ふふ。すごいわ、この身体。こんなにも細いのに…力強くて…引き締まってる、というのかしら」
両手で胸を持ち上げ、揉みしだく。
「それに体型もすごい。胸はこんなにあるのに、ウェストはキュってなってて…」
(う、うそでしょう、まさか横嶋さんー)
「こんないい身体が空いてるなんて、ラッキーだと思わない?」
(か、かえしなさい!)
立ち上がっている私の身体、足の部分に触れることができたが、何も起きない。
「無理無理、ただ触るだけじゃあ空っぽの身体に入ることすらできないわよ」
右手で腕と胴体をぐっと掴まれ、「私の身体」の視線の高さまで持ち上げられる。
身体の中詰まった綿がぎゅっと圧縮され身動きが取れなくなる。
唯一自由な足をバタバタと揺らすが何の抵抗にもならない。
(私の身体を奪ってどうする気なの…)
「何か言いたそうだけど…何言ってるのかわからないのよね。口とか表情は動くようにしてあげたほうがよかったかしら…。さーてと、元の私の身体を…っと」
「私」がなにか呪文のようなものを唱えると、倒れている横嶋さんの身体がススス…と小さくなっていき、私と同じ大きさの、横嶋さんにそっくりなぬいぐるみに変化した。
「じゃ、私の元の身体とこれからは仲よくしてあげてね。私は今日からあなたとして生きていくから」
横嶋さんはそういうと、私のスポーツバッグの持ち手部分に、私とそのぬいぐるみを括り付けてしまう。
ぶらんぶらんと揺れる2体のぬいぐるみ、もちろん足は地面にはつかない。
両腕を首の後ろに回して紐を外そうとしてみるが、関節のないただの布の手は、肩より上にあげることができず、また前後にも可動域が全然ないため、紐に触れることすらできなかった。
試行錯誤してどうにか外せないか、じたばたと暴れてみる。
「んー、やっぱりぬいぐるみが勝手に動くと不気味ね…」
ピンっと私の頭が軽くデコピンされる。
いままで動かせた手や足がピクリとも動かなくなり、顔もガクリとうなだれるように倒れる。
「これでよしっと、あなたの代わりに生きてあげるから、あなたはそこからずっと見てなさい。いままで鍛えてくれて本当にありがとう」
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