2018/04/01

とある未来の学校の実習


いま、私の学校では職業体験の時期の真っ最中。
希望のある職業を選択し、先輩の仕事への熱意、やりがいを聞いたり、支障がなければ少しお手伝いもさせてもらえるイベントだ。

私は看護師と保育士に興味があるので2つ志望している。
そのうちの看護師の職場体験はつい先日終えたばかり。さすがに医療現場には入れなかったものの、想像していなかったような細かい仕事の存在や、患者さんに接する苦労を発見したので、朝早くから今一度、自分の将来について熟考しているところだ。



「スズ、学校来てからずっと考えてんね」
「そらねぇ、決してきれいな職場ではないと思っていたけど、それ以上に肉体労働だったからね。サキはもうなにか職場見た?」
「うんにゃ、私は保母さん一筋だから」

サキがフルフルと首を振るのをみて、私はああ、とうなずく。
近年、保育士の待遇が大幅に改善され、給料はもちろん労働環境も改善されたので人気のある職種になっている。そのため、うちのクラスは私のような複数志望者も含め、ほぼ全員が希望する人気の職だ。

「でも今日からの保育士体験、期間長いよね」
「そーそー、1週間」
「さすがに人気職…なのかな?看護師はたった2日だったよ」
「それだけ人手が足りないのかもよ」
「えー、やだー」

看護師の医療現場は忙しくても、資格的に手を借すことはできないから長居はできず終わっている。
保育士のほうは子供の様子を見るだけならとかで学生をたくさん使って楽をしたいのかも。
あーだこーだ言い合っていると、朝礼の時間になり、担任教師の美鈴先生が入ってくる。

「はい、では今日からはじまる保育現場体験について説明します」

そういうと先生はペアを組むように指示する。
(…?なんだろう?二人一組でやるのかな)

よくわからない指示にも一応従い、私はサキちゃんとペアを組む。

「はい、では続けてペアで席を隣同士にして座ってください」
「…?」
「あの、先生、なにかやるのでしょうか?」

委員長が美鈴先生に説明を求める。
クラス全員に疑問符が浮かんでいるだろう。
私もはてな、と思いつつもサキのとなりへ移動した。

クラス全員が移動を終えると、美鈴先生はその質問に答えないままカバンからおもちゃの銃を取り出し、それをひとりひとり、ペアの片方の生徒だけに向けてカチ、カチと引き金を引いていく。

私にも銃口を向けて引き金を引かれ、委員長にも引き金が引かれる。その様子をみて委員長がイライラした表情を浮かべると先生に向かって叫んだ。

「みすずせんせー!いったいなにしてるってきいてるのー!……えっ」

いつもより甲高い、あどけない感じで発言した委員長にクラスの全員が驚く。…委員長も自分の発言に驚いたようで、手を口に当てて絶句している。
一瞬クラスに静けさが支配する。

「…はい、いまから説明しますので座りなさい」

委員長は口に手を抑えたまま、何が起きたのかわからない様子で椅子に座る。

「昨今、少子化で子供は減ってきていますが、子供を狙った犯罪の割合は増えてきています」

…それは知っている。今朝もニュースでやっていた。

「そのためここ数年、できるだけ部外者は施設に入れてほしくない、というのが保護者の間での見解です」
「そんな…部外者だなんて。じゃあ職場体験はできないの…?」

サキがちょっと落ち込んだトーンで呟く。
子供が大好きで、子供のために働きたいという夢を持っているサキにはちょっと悲しいニュースである。それはそれとして、先ほどの委員長の言葉遣いはなんだったのだろうか。
その疑問は次の先生の言葉で解決することになる。

「しかし、保育士の希望者は年々増えており、学校としてもできるだけ体験をさせてあげたい。委員長も、折角の機会が無くなってしまうのは可哀想でしょう?」
「う、うん―じゃなくて、はい、それは、ミカも…いえ、私もそうおもう…おもいますけど」

一言、一言、言葉を選ぶようにしゃべる委員長。
どうやら油断をすると先ほどみたいに子供みたいな声がでてしまうようだ。

先ほど、私たちに向けてカチカチ撃っていた銃を、目の前に掲げる美鈴先生。

「この銃は、撃たれた人間の行動を、指定した年齢相応まで下げることができるの」
「へ…?」

委員長は教師の突拍子のない発言に油断したのか、再び発した言葉は、その意味自体がわからない、みたいに聞き返す幼児のような言葉遣いをした。

「今の設定は5歳ね」

銃の横にはよく見るとダイアルが取り付けられており、05、とあらわされている。

「いまは言葉遣いだけだけど、そのうち行動…動きも5歳相当まで下がるわ」
「えっ…ご、5歳!?」

私も思わず声を漏らす。

「大丈夫、あなたたちの意識、思考だけはそのままだから」
「だからって、そ、そんなことしちゃいけな…していいわけが…ないでしょう」
「我々教育者の間でも相当検討した結果です。一種のグループワーク、ロールプレイだと思ってください。"友達が困っているなら、友達が協力してあげればよい"ということです。今日から1週間、ペアの方は、将来実際に面倒見てあげる子供だと思って保育士としての体験を、もう片方の人たちは子供の視点に戻り、子供が本当に必要としていることは何なのかを身をもって体験してみてください。もちろんこれは親御さん方には事前に許可をいただいてます」

ざわざわと保育士側のクラスメイト達もざわめきはじめる。
一方で撃たれた人…私も含めて、それが信じられない、みたいな様子で美鈴先生を見つめる。

「委員長はすでに体験しましたが、他の子も今、自分がどんな状態なのか、確認してみてください」

そういわれても…いま、自分が言葉を出すのが怖い。

「ちょっと、おもしろそうじゃん、スズ、ちょっと自分の名前言ってみなよ!」

(なんか、嫌な予感がするからいや)
「あいだすずです!」
(ってなにいってんの私!?)

元気よく、手をあげ、自分の名前をフルネームで叫ぶ私。
私のほかにも何人か自分の意志に反してしゃべりだしてしまったようだ。
慌ててあげた手を引っ込めるが、サキが目をきらきらして私を抱きしめてくる。

「きゃースズ、かわいいー」
「ちょ、ちょっとサキちゃん、やめてよ」

あ、あれ?
普段なら振りほどけるはずなのに、抱き着いてきたサキを振りほどくことができない。
なすがままに、ベタベタと触られる私。

「な、なんでちからがでないの…?」

委員長も同じように頭を撫でられている手を振りほどこうとして、それができず困惑気味だ。

美鈴先生はその様子をみて、問題ないみたいね、とうんうんとうなずいている。
(問題大ありだよ!)

サキも私を抱きしめながら周りを見回す。

「ほんとだ、撃たれた子達は油断…している、というかどことなくほわーっとした顔つきになってるね…ほんとに子供に戻っちゃったみたい。もちろんスズも」

そういわれて私はあわててキッっと顔を作る。
たしかに気を緩めると表情が自然と緩んでしまう。

サキは私を捕まえていた手をようやく離す。やっと解放された私は椅子にすわりなおす。

「スズ、スズ、足閉じて」
「え、へ?あ、うぇ?!」

慌てて、両足を閉じる。
(何気ない行動が全部幼い感じになっちゃってる…かも)
こうやって落ち着いた状態で物事を考える分にはいつもと何ら変わらないのに、喋ったり、動こうとすると、一瞬頭の中にモヤがかかったようになり、ぼんやりとして思考が鈍る。
(油断すると子供っぽく…意識して行動しないと)

「はい、じゃあこれから1週間よろしくお願いしますね。お迎えはちゃんと親御さんが送り迎えをしますのでご心配なく」

えっ、もしかして1週間ずっと、家でもこのままなの?

「やだ、もどしてー」
「いやー!」
「こんなのひどいよ!」

5歳児相当にされた女子達から悲鳴があがる。
委員長も同じように思っているのか顔がしかめっ面だ。
私だって1週間もこんな状態はいやだ。
身体だけは女子高生のままで、振る舞いが5歳児とか端からみたら痛すぎるだろう。

美鈴先生はしかたないわね、と言いながら銃に何か設定を施している。

「意識まで5歳児にすることも可能なんだけど、みんな、どうする?」

しーんと静まり返る5歳児達。

「反論はないみたいですね、ではこれから1週間頑張りましょう」

「「はいっ!」」
サキ達は嬉しそうにはきはきとした声で返事をする。

「あれ、園児側の子達は返事しないのかな?」
とぼけた顔で先生は銃をこちらへ向けようとする。

「「は、はーい!」」

慌てて大きな声で返事をする。
中には油断して、思わず手をあげてしまった子もいるようだ。
委員長も顔を赤くして、手を降ろす。

「はい、ではこれから職場体験を始めます。まずは、お着替えをしましょう」

…はい?



お着替え…ってなに?

「そのままだと制服に皺がよったり、汚れてしまいますからね。はい、保育士志望の人はジャージに着替えた上で、このエプロンを付けてください。で、幼児役の人達はこの服装へ着替えてください」

美鈴先生はそういうと生徒たちに衣服の入った袋を配りだす。
保育士側のサキはさっとジャージに着替え、エプロンを装着した。

「こ、これって…」
幼児役側の袋から出てきたものは水色のスモックであった。
そして一緒にシャツと短いスカート、靴下が入っている。

「こ、こんなの、きれるわけないじゃない!」

椅子から立ち上がり、大きな声をあげる委員長。
私達もこんな恥ずかしい格好、できるわけがないと頷く。
委員長は美鈴先生を睨む。
美鈴先生はしょうがないわねぇと溜息をつくと、銃口を委員長へ向ける。
委員長の目がハッっと大きく見開いた瞬間

「や、やめて…!ごめんな-」

カチ、という音が教室へ響いた。
謝罪をいいかけていた委員長の動きが止まり、目の焦点が合わなくなり虚ろな表情になる。
数秒後、意識を取り戻したのか、何が起きたのか、とぽかんとした顔で不安そうな顔で見回す。
そんな委員長へ美鈴先生が話しかけた。

「さ、ミカちゃん、お着替えしましょうねー、お着替え難しかったら先生にお願いするのよ」
「はーい、ミカおきがえできるもーん」

さっきまで反抗的な態度をとっていた委員長がまるで本当に5歳児になってしまったかのようにおとなしく素直になり、そのまま教室の床に座り込んだ。足を投げ出して座った委員長から、は普段のキッチリした、自分にも他人にも厳しくするイメージはまったく感じられない。

「んしょ、んしょ」

委員長はセーラー服を脱ごうとするが、脇のファスナーを上げていないので脱ぐのに苦労している。

「んー、せんせいー、やっぱりてつだってー」

委員長が隣りに座っているペアの生徒へ上目遣いに話しかける。
話しかけられた生徒は、目の前の光景にぽかんとしていたが、はっと我に返る。

「あ、そ、そうね。委員長-じゃない、ミカちゃんお着替えしましょうねー」

そう言うと委員長の制服とプリーツスカートを脱がせ始める。
私達も我に返ると、銃口を向けられないように慌てて着替えだす。

「美鈴先生」
「はい、サキさんなんでしょう」
「委員長は心まで5歳児になっちゃったんですか?」
「はいそうですよ。でも同時に元の心も消えたわけではなく、同居しています。でも、5歳の心のほうが身体の優先権があるだけなので、本当の委員長ちゃんは今回の体験をちゃんと後から思い出すことができるのです」

(5歳児に自分の身体を勝手に動かされているようなものか…そしてそれを後から追体験させられる…)

羞恥心の欠片もない下着姿で床に座り込んでいる委員長を見て、身震いする。
委員長はされるがままに幼児向けデザインのシャツとスカート、そしてその上にスモックを被せられた。

「ありがとう、せんせいー」

あどけない顔でお礼をいう委員長。
いつもお硬い顔をしている彼女の屈託のない笑顔というものは新鮮で、かわいい。
ペアの生徒も似たような感想を持ったのか、ちょっと顔が緩んでいる。

「あなた、手際がいいわね」
「あ、うち小さい妹がいるので…」
「なるほどね、さ、他の子達も着替えが終わらないとどうなるかわかるわね?」

おっと、こうしている場合ではない。
さっさと着替えないと私もあんな風になってしまう。
セーラーのファスナーを上げ、なんとか上は脱ぐことができた。
スカートのホックを外すのに手間取ってしまう。

(力が落ちてるせいで、手が上手く、扱えない…)

何回やっても手が滑ってしまい、ホックを外すことができない。
「あ、スズ、やったげるよ」
(ちょっと、自分でできるからいいよ)
「いや!いい、じぶんでやれるもん!」
思った言葉と違う言葉が、自分の口から発せられる。
(違うの!恥ずかしいから手伝って貰う必要はないって意味で)
「ひとりでできるから、みてて」

サキは何かを堪えるような顔をしていたが、我慢できずにニヤニヤ笑い出す。
「そうだねースズ"ちゃん"、ひとりでお着替えできるもんねー」
(バカにしてるの!?)
「わらわないで!」

ああ、だめだ、少しでも焦ったり、興奮すると言葉が幼くなってしまう。
結局時間内に着替えることができず、サキにすべて任せることになってしまったのだった。

(うわ…なにこれはずかしい)

丈の短いスモックに短いスカート。
そこからはほとんど脚が露出してしまっている。
すこしでも走ろうものならば下着が見えてしまうのではなかろうか。

「ちょ、ちょっと、リカ、ヤバイその格好www」
「マミせんせい、ひどい!わらわないで!」
後ろの席では同じギャル同士でペアになった子が、幼児役を見て笑っている。
釣られて後ろを見ると、日焼けした小麦色の肌の、茶髪で少しパーマを入れた女子高生が幼児の格好をしている。

(う、うわ…そういうコスプレかプレイにしか見えない)
他人事ではないが、いつも女子高生流行を追っかけていた子がそんな格好をしていると思うとニヤニヤしてしまう。

「大丈夫よ、スズちゃん、あんたも似たようなもんよ」
(…予想はしてたけどやっぱりそうか…)

私はがっくりと肩を落とした。

ぱんぱん、と美鈴先生が手をたたく。

「はい、じゃあまずは午前中、クラス活動をしますよ」



美鈴先生はそう言うと私たちの机の上に、何も書いていない白い紙と数枚の折り紙と数本の色えんぴつ、クレヨンを置いていく。

「ここからは保育士役の子達に任せますね。お昼までの2時間はこれで過ごしてみてください」

そういうと美鈴先生は職員室へ戻っていった。
教室の中はとたんに騒がしくなる。
サキも例外ではなく、私にいろいろな質問をしてくる。

「ね、スズ、いま頭の中どんな感じなの」
「えっとねー…じゃなくてええと…」

なるべく幼い言葉が出ないようにゆっくりと話す。

「今までどおりに、ふつうにかんがえられるんだけど、話そうとしたり、何かしようとするとかんがえてたことがふわーって消えちゃったり、かってにおもってもいないことしちゃったり」
「へー、面白そうだね」
「おもしろくないよ!!」

それに力も、器用さも5歳ぐらいのことしかできないレベルまで落ちていることも伝えようとしたが

「ちからもないし、おててもうまくうごかないの」

という言葉にまとめられてしまった。

「じゃあ、紙に自分の名前、書いてみてよ、できる?」

サキが机の上に置いてあるクレヨンと手に取り、私の目の前に置く。
馬鹿にしたような顔をするサキに私はむっとする。

(馬鹿にしないで、自分の名前とか書けないわけ無いでしょ)
「おなまえ?そんなのかけるよ!」

ああ、もう脳内にフィルタがかかっているのが心底イライラする。
私は気合を入れてクレヨンを手に取る。
指がふるふるしてクレヨンを上手く持てなかったので、手全体で包み込むようにして持ち直す。

(えーと鈴……あれっ)

頭の中に「鈴」という字を思い浮かべ、紙に書こうとするが
クレヨンを動かそうとした瞬間に頭の中の「鈴」という字が曇りガラスを通して見ているようにぼやけてしまい、そしてうっすら消えていく。

(な、なんなのこれ、まさか…)

ひとまず落ち着いて、黒板に書いてある文字を読もうとしてみる。
直前までそれが文字であると認識できているのにかかわらず、
いざ、読もうとするとすると、それが見たことがないような記号のように見えてしまい、読めなくなってしまう。

(…これ、まさか知能まで制限されちゃってる?)

ぶわっと冷や汗が出る。

「どしたのスズ、まさか書けないとか?」
「そ、そんなことなくて…」

慌てて再度クレヨンを紙に押し付けるが、再び漢字が頭の中から霧散していく。
周りを見回すとどうやら他の幼児役の子達も同じように、字を書こうとして書けないことに戸惑いを覚えているようだ。

「かけたー!」
「あら、ミカちゃん上手ね」

委員長が紙に大きく「みか」とひらがなで名前を書いている。
お世辞にも高校生が書くような字ではなく、線もガタガタで、文字のバランスも歪だ。

そんな委員長の様子をサキが見て、なるほど、とうなずく。
「スズもあんな風にしか書けなくなってるんだね…。うーん、わかった!」
サキはそう頷くと自分の頬をパン、と叩く。

「私、今からスズのこと、ちゃんと子供として扱うから!せっかくの体験なんだし、しっかり取り組むね!」
「え、いや…そんなにはりきらなくても」

親友に幼児扱いするね、と言われて喜ぶ人はいないだろう。
だが、サキはもう既にやる気のようだ。

「じゃあスズちゃん、1文字ずつひらがなでゆっくりかこうねー」
「う…かんじでかけるもん!」
「そう?じゃあはやくかいてみて」

(う…やっぱりだめだ)

書いた文字はどう考えても「鈴」とは読めない、ぐちゃぐちゃの文字とすら言えないものだ。

「うーん、スズちゃん、無理せずひらがなでかこ?お手本見せてあげるから」
「ひ、ひらがなならかけるもん!」

私はムキになって「すず」と書こうとするが、すの正確な字が思い出せず、鏡文字のような「す」を書いてしまう。

(ううっ、こんな字が書きたいわけじゃないのに)

頭のなかでは大人の考えが出来ても、外の世界に対して幼児のようなアウトプットしか出来ないのであればこれはほぼ知能を制限されているに等しい。
上手に喋ることができない、身体の動きもどことなく不安定、そして知能も5歳児並…
この状態で1週間…急に外の世界がとてつもなく恐ろしいものに感じてしまった私はたまらず涙を流してしまう。

「う、うーっ…!!!」
(な、泣きたくないのに涙が…止まらない)

サキもその様子に慌てる。

「あ、ほら、大丈夫だよスズちゃん!ちゃんと先生がお手本を書いてあげるから、ね?」

そういってサキは紙に「すず」と書いてくれた。
私は高ぶる感情を抑えながら、サキのお手本をなぞるように「すず」と書きはじめる。
それはミミズののたくったような文字ではあったが、なんとか同じように書くことができた。

「ほら、書けたじゃない、スゴイよスズちゃん」

サキは私の頭を撫でてくる。
同学年の私としてはその行為にむっとしたが、幼児としての私の気持ちはそうではないらしく、ココロの中に"褒められた、嬉しい"という心地よい感情があふれる。

そこからしばらくはサキが書いた文字を私がなぞる、同じように書いてみる、ということを繰り返していった。1時間ぐらいすると「あいだ すず」と自分の名前をひらがなで表現できるようにまではなった。…相変わらず漢字はまったく読めないんだけど。

(ん…なんかおなかが…)

私はトイレに行かないとと思い、椅子から立ち上がる。

(…ん、あれ、トイレってどこだっけ)

トイレの位置が思いだせないことに私は焦る。
いや、正確には思い出せるのだ。だがトイレへ行こうとした瞬間、その行き先がまるで迷路の中にあるかのように改変される。
そしてさらに私に追い打ちをかける現象が起こる。

(やばい、もしかしてこれも制限?)

いつもより我慢ができないのだ。
トイレへ行きたいと思ってからまだ1分も経っていないというのに既に膀胱は決壊寸前。
立ったままもじもじし始めた私を見て、サキが「まさか」と呟く。

「サ…サキちゃん…お、おしっこ…」
「え、え、え?あ、そうか!わー大変!!!トイレの位置分かる?」
「わ、わかんない…」

というかこのままだと洋式便所の使い方すら怪しい。
私達の様子に周りも気がついたのか、保育士役は子供役へトイレは大丈夫か確認し始める。

「つ、連れてって・・・」
「お、おうっ、まかせて!」

サキは私の手を取り、引っ張るようにして教室から飛び出した。




「サキさん、もってきましたよタオル」
「すいません、美鈴先生」

結論から言うと間に合わなかった私は職員用シャワールームに連れ込まれ、汚れてしまった服を脱ぎ捨て、温かいシャワーを浴びている。

「…うう、はずかしい」

まさか高校生にもなってひと前でおもらしをすることになるとは思っていなかった私は、廊下で思わず大きな声で泣いてしまった。
そのときに近くのクラスで授業をしていた別の先生がサキと共にここへ案内してくれたのだ。
その先生から美鈴先生へ連絡が行き、タオルや替えの着替えを持ってきてもらったのだが―。

「まあ5歳でもトイレ完璧じゃない子は多いから、気にしないでね」
「あたしは17さいなのっ」

美鈴先生が困った顔をする。
サキもどう対応してよいか、という顔をしている。

「せんせい、もうもとにもどして、こんなのやだ」

こんな思いをするぐらいなら、こんな職場体験やらないほうがマシだ。

「それはできないわ、委員長みたいに心も幼児にすることならできるけど…どうする?」
「…それも、やだ」
「それに相田さんも、今なら子供の気持ちを理解できるでしょう、この経験は将来生かせるわよ」
「…そうかなあ…」

そうです、と美鈴先生が頷くと職員室から持ってきた「何か」をサキに渡す。

「え?これって」

体験中におもらししちゃった子は、これをつけるルールなの、と美鈴先生。

「毎回校舎内でされたら、掃除や臭いが大変ですから」
「え、なになに?」

ちょうど影になって見えなかった私は何を受け取ったのか聞く。
サキがこちらを振り返る。その顔は苦々しいような、困ったような表情であった。

「あはは…おむつ」
「い、いやです、せんせい!そんなもの!」

美鈴先生は首を横に振る。

「お漏らし、体験したからわかると思うんだけど、漏らしてしまうまであっという間だったでしょ」
「でもでも…!」
「次のトイレがちゃんとできたら、外してあげるから」
「いやですっ、あたしにはひつようないもん、つぎはちゃんとできるもん」

カチャっと言う音と共に銃口が向けられる。
本能的に身をすくめてしまう私。

「どうする?スズちゃん…」

おむつを握ったまま、困ったままの顔のサキ。

「…つけます」

その言葉を受けて、美鈴先生は銃口を降ろす。
私はほっと息をはいた。

「よろしい、じゃあサキさんよろしくね」
「へ?」
「ひとりじゃ、むりでしょ?」

ひとりでオムツを付けることもできない私は、サキに大人の力で押し倒され、屈辱的な格好の上でオムツを装着させられた。
…死にたい。

まさかこの年になっておむつをつけることになるとは思わなかった私は、こんもりと膨らんだオムツを見下ろしため息をつく。大きなオムツは短いスカートで隠せるようなものではなく、むしろ大きくなったお尻で更に短く見えるスカートから、丸見えの状態である。
おしっこしたらすぐにサインが見えるように、とのことらしい…。

「ううっ…ごわっとする」

股がうまく閉じれなくなり、少しがに股気味に、よちよち歩かなければいけないのも、さらに恥ずかしさを増長させる。

「ほんとうに、トイレできたら、はずしてくれるんですね?」
「ええ、それは大丈夫よ」
「…わかりました」

美鈴先生に念を押し、私たちは教室へ戻る。
入った瞬間、私のオムツ姿を見て保育士役の生徒たちは笑い出す。

「わ、わらわないで!」
「あはは…ごめんごめん」
「いやー面白いもの見ちゃったわ」
「ううっ…」

一方、委員長以外の幼児役をしている子達は顔を青くしている。
…そりゃそうか。粗相をしたら、こうなりますよ、という見せしめに近い。
自分の身体がうまくコントロールできなくなっているので、わたしなら大丈夫だ、という気持ちにはならないだろう。

―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・

昼食の時間。

美鈴先生が言うには、見た目はそのままだから食べる量はいつもと変わらないけど、食べにくくなっているから気を付けて、ということだった。

持ってきたお弁当についていた箸がうまく持てない。
どうしても片方がころんと手から零れ落ちてしまう。

仕方なく私は箸をがしっとグーでつかみ、食材を突き刺すように、またはスプーンのようにすくい上げるようにして食べ始めるが、口に入り損ねた食べ物がぽろぽろと机の周りに巻き散らかされる。

「あー!スズちゃんごめんっ。私のお弁当にフォークついてるからつかって?」

隣に座っていたサキが惨状に気が付くと小さなフォークを手渡される。
やはり親指でうまく支えることができないので同じように握りこむ。
周りのみんなも同じように苦労しているようだ。
みんなの机の上は食べかすだらけで、大体の子の口周りにはソースやケチャップが付いている。

(こんな目にあってるに食事の量は変わらないなんて…不便すぎるよこの身体)

なんとか弁当箱を空にし終えたときには、昼食の時間終了ギリギリであった。
さて、昼食を食べ終わるとやってくるのは睡魔だ。
しかしつい昨日まで午後の眠気と戦っていた高校生の意志や気合は、5歳にされた私の中では発揮されないようだ。
起きていたいのに、身体が勝手にふらふらとゆれ、瞼が重くなる、
カクンと首が触れたときに慌てて起きるの繰り返しでままならない。

(ううっ、起きていたいのに…)

ふと周りを見ると、いつのまにか机やいすが隅に追いやられ、床の上に布団が何組か敷かれている。

「スズちゃん、こっちこっち」

サキが布団をぽんぽんと叩く。
ああ、そうかお昼寝の時間か。
その布団の叩く音に呼ばれ、目をこすりながらサキの用意した布団へ倒れるように潜り込む。

(うーん…眠すぎて…もうだめ)

欲求に抗えない身体にされた私は、そのまま夢の世界へと旅立った。





-自宅。

心身ともに疲弊した私は自分のベッドにうつ伏せで倒れ込んでいる。

1日目の実習が終わり、元の制服に着替えた私達は1人では帰れないため、保護者のお迎えを待つことになる。
…もとに戻してくれればいいいのに、と訴えては見たがこれも実習の一環である、とにべもない答えが返ってきた。
委員長を迎えにきた母親は「あらあら」とどこか懐かしそうに、そして楽しそうに仲睦まじく帰っていった。

一方私は迎えに来てくれた母親に絶対口を開かないようにしていたのだが、
サキが2回もお漏らししちゃって…と余計なことを喋ってしまい、母親がどれどれと私のスカートをめくり上げ、
交換された2個目のオムツを見られ、つい幼い言葉遣いで声を上げてしまい、更に赤面する羽目になった。

「スズは小学校入るまでおもらし癖が直らなかったの、思い出したわ」

母親も母親で余計なことをサキに喋ってしまう。
サキと母親は困ったもんですね、と笑いあった。
その光景は本当に保育士と小さな子どもを持つ母親の会話のようであった。

通い慣れているはずの学校から家までの道のりが思い出せないので、母親に手をつながれ、一緒に帰り道を歩く。
体力も落とされているし、制服スカートの下にやや大きめのおむつを履かせられているため、思ったように歩くことができない。
そんな様子を見て母親が歩く速度を落としたことに、歩くことで一生懸命な私は気がつくことはなかった。

「ただいまー」

玄関の方から、今年から中学生になった部活帰りの妹の声が聞こえてきて、私の身体はなぜかビクッっと震える。
いつもならそんなことはないのに何故…と思ったが、部屋に入ってきた妹を見て理解した。

「へっへー。お姉ちゃん、今日から実習だったんでしょ、どっちだった?ってサキさんに聞いたから分かるけどー」
「あ…っ」

ノックもせずに自室に入ってきた妹を普段なら叱り飛ばして、蹴り出すぐらいはしているのに、ベッドの前に仁王立ちする妹をみて、本能でかなわない、という意識が芽生える。
ベッドの上で後ずさりをするが、飛びかかってきた妹には意味がなかった。
あっというまに両腕を片手1本で組み敷かれた上に仰向けに倒され、馬乗りにされる。

「おー、かわいいの履いてるね、お姉ちゃん…いや、スズちゃんかな?」
「や、やめてっ…スカート、めくらないで…」

妹にオムツ姿を見られることでさらに羞恥心が膨れ上がる。
さらに

「どれどれお漏らししてないかなー、なんて」

空いた片方の手でオムツを確認されてしまう。

昼にもあった、耐えきれない何かが吹き出し、大声出ないてしまう私。
意識では泣きやまないと、と思ってはいるものの、羞恥心に加え、自分の泣き声にもびっくりしてしまい、自制ができない。

「あ、ご、ごめん、お姉ちゃん、ごめんって」

妹は慌てて私をなだめようとするが、それがさらにかえって苛立ちを増幅させる。
改めて自分の身体が制御できない事実を客観視しつつ、私は泣きわめき続けた。

結局泣き声を聞きつけて駆けつけた母親に妹はゲンコツをくらい、部屋からつまみ出されていった。
母親は部屋から出ていく際に2-3回私の頭を撫でると、1人のほうが落ち着くでしょ、と言って出ていった。
肝心なところで母親らしさを垣間見たようがして、私はすこし関心をした。

しばらくして、沈んだ顔をした妹が部屋へご飯ができた、と呼びに来た。
こってり絞られたようで声のトーンも低い。とても反省した様子が見て取れる。

「その…お姉ちゃん。さっきはごめんなさい。その、いつも仕返しだーって思って、ちょっと調子乗っちゃって」
「…ううん、いいよ、わたしもないちゃって、ごめんなさい」
「本当に、ごめんね」
「いいってば、もう」

いつも言い争いをする妹がこんなにしおらしくなってしまうと、少し罪悪感が芽生える。

「私もその…保育士目指してるから、ちゃんとしないとダメだよね」

ん?前言撤回。なんか雲行きが怪しい。

「え、いや、それは」
「子供に悪戯するような私、ダメだと思うの」
「う、うんそれはそうだねでも」
「でね、折角お姉ちゃんがいるんだし…その、私も保育士の練習してもいいかな?」
「えぇー…」

何故そうなる。

「わたし、おねえちゃんあつかいしてくれればいいんだけど…」
いつも通り振る舞ってくれ、という言葉が変換されて出て来る。
「ううん、お姉ちゃん、私保育士に真剣になりたいの、お願い、協力して!」

先程までとちがって気迫あふれる声で拝み倒される。

「それにお姉ちゃん、いま1人じゃお風呂とか入れないでしょ?」
「…そんなことないもん」

頭のなかでお風呂の入る手順を思い浮かべる。うん、大丈夫。

「じゃあまず制服を脱ぐんだけど…できる?」
「ばかにしないで、えーっと」

しかし脱ごうとした瞬間に制服を脱ぐ手順が頭から抜けていく。
そういえば学校でも着替えで苦労したことを思い出す。

「ここじゃぬがないから!だついじょでぬぐから!」
「…怪しいなあ。じゃあ次はどうするの?」
「おゆをかけて…ごしごし?」
お湯で身体を流して、まずは髪の毛を洗って、その後身体を…。
そんな簡単な手順も言葉にするととたんにおかしくなる。

「…ほら、トイレもそうだけどいまのお姉ちゃんは日常生活が怪しんだから、協力者が必要でしょ?」
「だ、だいじょうぶだって…!」

…とはいえ不安になってくる。
確かにトイレすら満足に出来ない状態で、1人で湯船に入れるだろうか。
バランス崩して溺れたりする可能性もあるかもしれない。

「それにご飯とか。サキさんからこぼしながら食べてた事、聞いてるよ」
「う…」

サキも余計なことを言い過ぎだ。もとに戻ったら覚えてろ、と呪う。

「だいじょうぶ!できるから!」
「そう?じゃあしょうがないかー」

「お母さんこれから夜勤だし、私も手伝わないって決めたから、なにかあったらもう少しで帰ってくるお父さんに助けてもらってね!」
「ごめんなさいてつだってください」

さすがに父親にオムツ交換とかされるのは御免被りたい。
私は妹へ頭を下げる。

「えー。どうしよっかなー」
「もとにもどったときにひどいめにあいたくなかったらてつだいなさい」
「…はいはい。しょうがないなあスズちゃん」
「おねえちゃんです!」

ふー、と妹はため息をつく。

「私が手伝うんだったら、保育士としてやらせて。そうじゃないなら手伝わない」
「…ずるい」
「ね、いいでしょ?お願い」

トドメはおねだりの表情だ。
喧嘩ばかりしているとはいえ、仲が悪いわけではない私は妹のこの表情には弱い。
父親の顔を思い浮かべ、私はため息をついて諦める。

「…じっしゅーのあいだだけね」
「やった!じゃあ私のことを先生って呼んでね。お姉ちゃんのことはスズちゃんって呼ぶから」
「…はい」

くるくると嬉しそうに周りながら器用に部屋を出ていく。お母さん、エプロンどこだっけ、と母親に訪ねている声が聞こえてくる。

学校だけでなく家でも幼児扱いが続きそうである。
まだ初日が終わったばかり、週末までは後4日。
自由にならなくなった身体を見下ろし、私はため息を再びついた。